カテゴリ:日苗のおもい( 7 )

池の平高原の農園

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今建築中の作業小屋
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by nanaironosora-k | 2013-06-12 22:38 | 日苗のおもい

2013、3、11 の思い

ふくしまにかえりたい。
ふくしまにかえって、おともだちとあそびたい。
げんぱつは、いらない。
ふくしまにある、おとうさんが作ったブランコも、もっとのりたかった。
ふくしまの小学校も、もっと行きたかった。
おともだちや、ふくしまの自分のおうちとはなれてしまってさみしい。
もっと、いいたて村で遊びたかった。
しいたけをとったり、はたけに行って、とうもろこしをとったり、
もっと、もっとしたかった。
もし、いいたて村にかえるなら、また、ふくしまで、いろいろ遊びたい。
みえ県にいるのもたのしいけど、ふくしまにいるときは、すごくたのしかった。
じじんで、みえ県にきたとき、ふくしまにかえりたくて、さみしかった。

2013、3、11、

村上美月 小学3年生
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by nanaironosora-k | 2013-03-28 21:22 | 日苗のおもい

2013、3、11 の思い

3、11の大震災からもうすぐ2年。

震災の日、私は、福島市の友人宅にいた。
ゴーっという地響き、立ってはいられない 激しい揺れ・・・。
TⅤ、たな、冷蔵庫・・・
いろいろなものが 次々に倒れ、落ち、壊れていく。
「こわいよー、こわいよー」幼いわが子たちは泣きさけんだ。
子どもたちに 毛布をかぶせ抱きよせた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って言って・・・。
それでも 揺れがおさまらず 余震が続く・・。
家が ガタガタガターと音をたて、家が崩れそうに 激しく揺れた。
「あーあ・・・もしかしたら このまま死んでしまうのかもしれない。」死を覚悟した。
でも 子どもたちだけは守ってあげたい・・・そう思い、子どもの頭をかかえた。

少し揺れがおさまり 外をみると、道路はひび割れ、
ブロックベイは崩れおち、車がこわれ、窓ガラスが割れていた。
家の中が散乱して、足の踏み場がなかった。
しばらくして、TVをつけ、地震の情報を集めていたら、津波の映像だった・・・
「えー!」目を疑った。慣れ親しんだ家から40分くらいの海が、
まるで映画のシーンなんじゃないかと思うくらい、信じられない勢いの津波。
家も、車も、人も、なにもかも のみ込んでゆく・・・。
信じられなかった・・・
信じたくなかった・・・。
ものすごい不安におそわれた・・・。
なお続く余震・・・。
恐怖の連続・・・。

そうして、夜10時頃、友人が言った・・・。
「原発があぶない・・・
このままここにいて、もし、チェルノブイリのような事になれば、即死かもしれない。」
「だから、今すぐ逃げて!!」
「できたら、名古屋からむこうに!!」
私は信じられなかった。いったい何が起きているの?
疲れ果てた私は・・・さらに頭が真っ白になったが・・・
とにかく、ここを出よう・・・家に帰ろう・・・
小さな3人をかかえておそるおそる雪道の中、家に帰った・・・

家は、停電で真っ暗だった・・・
夫に伝え、30分後に、家を出ることに決めた・・・
ガソリンはどこも閉まり、わずかしかないが、できるだけ遠くへ。
生後11カ月の子をおぶり、真っ暗の中、
ライターの わずかな火をたよりにあわてて、
とりあえずの子どものおむつと服、水と食量を手探りで詰め、家を出た・・・。


避難の途中、吹雪・・・。
外に出ると足が冷たかった・・・。
私はサンダルだった。あわてていて、靴も、服も、
自分の物は、持ち出すことが出来なかった・・・。


あれから2年、家には大量の放射能が降り注ぎ、
1度も家には、帰っていない。
家の中のものも汚染され、持ち出しが出来ない・・・。

子どもが言う。
あの日、サンタさんがくれた おもちゃは?
あの日、おばあちゃんが買ってくれた、ピンクの洋服は?
みんな、一人一人にとって、思い出も全部、置いてきている・・・。

なんて、かなしい現実・・・。
私は知っている。専門家じゃないけれど、母として。
放射能が降り注がれてしまった我が家には、もう帰れないことを・・・。
いくら国が、帰村宣言しても、大切な子どもを、心の底から、
笑顔で 自由に遊ばせてあげられないことを。
自然を汚してしまった おろかな私たち 人間たち。
どんなに除染しても・・・
汚染された土も木も、どこにも行き場所がない・・・。
やがて、水となって流れ、めぐり めぐって私たちの体に、汚染された水は帰ってくる。
この悲しみ、この不安を、この恐怖を、この怒りを、いったい どこにぶつけたらいいの?
どれだけの子どもたちを、福島の汚染地帯に置き去りにして、苦しめ続けたらいいの?
誰も、責任を問わない。
原発事故が、どうして犯罪でないの?
これだけの事が起きて、苦痛の中、自殺された方がいる・・・。
ストレスで、亡くなられた方が多くいるというのに、
こんなことが起きて、福島は、いまも放射能が出続けて、なにも解決していない・・・。

3、11から、何1つ、私たちの村は、変わっていない現実があるのに・・・
どうして終息宣言なんていえるの?
どうして、原発推進なんていえるの?
おかしいよ!!
おかしいでしょ!!




私たちは、いったい なんのために、こんな目にあったというの?
今もなお、帰ることが出来ないで、避難して 苦しんでいる多くの人がいるのに、
推進だなんて、こんなんじゃ私たちは報われない・・・。

お金なんていらない、補償なんていらないから、
3、11以前の元の暮らしを返して!!
村人たちの笑顔をかえして!!
清らかな水、澄んだ空、豊かな大地をかえして!!

村人たちは、みんなみんな、自分の食べ物は 
自分で育てていた。
本当の豊かさは、ていねいに生きること。

あるものを生かして、いきることを知っていた。
水も、空気も、大地も、お米も、お野菜も、
豊かな自然がなければ育たないということを、
忘れないでほしい。

私たち人間は、そうした自然に生かされて、
はじめて生きてゆけるんだってこと。


もう1度、ちゃんと思い出してほしい。
本当に大切なものは、何かって事を、
一人一人が考えてほしい。
福島でおきた この現実は、
いつ 自分のところにやってくるかもしれません。
一人一人の考え方、暮らし方を問い直しせず、
大量消費の、このお金中心の、
生き方を選択するならば
また、同じ過ちを繰り返すことになるだろうと、
私は思います。
 
どうか東北のことを、福島のことを忘れないで下さい。
いつまでも、つながる心を持ち続けていて下さい。
                  おねがいします


2013,3,11

なな色の空  村上日苗
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by nanaironosora-k | 2013-03-28 21:18 | 日苗のおもい

伊勢志摩 DON舞フェスタ

7月28日から7月31日まで福島県の飯舘村のよさこい「いいたて愛」のチームの皆さんがDON舞フェスタに参加され、三重の方々と交流されました。三重のボランティアの方々のご好意で飯舘村の方々とともに、私たち家族も、ご招待してくださりました。

感謝のきもちでいっぱいです。本当にありがとうございました。いいたて愛のみなさんのダンスを久しぶりにこの、三重の地でみることができました。みなさんのたくさんの様々なこの原発事故からのおもいをかかえながらも、ひとつになり、おどるそのすがたと笑顔、とてもすてきでした。たくさんの元気を、いただきました。みなさんに、再会できて、とてもうれしかった。

また、お会いできる日を楽しみにしたいます。

なな色の空 村上日苗
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by nanaironosora-k | 2012-08-02 08:59 | 日苗のおもい

飯舘村のなな色の空でお世話になった皆様へ

村上日苗さんの手記
2012.02.20 Monday | category:できることからはじめよう!僕らはみんな地球人
先日、講演を聴いた村上真平さんの奥さま日苗さんの手記


皆様へ

私たち家族は、三重県伊賀市に避難しています。
飯舘村のように水がきれいで、人口が少ない地域でゆったりしています。
6月にはホタルが田畑に舞い、とても美しいです。
自然豊かなところで子供たちは元気にすごしています。
田畑がまわりにありますが、サルの被害が多く、飯舘村のように家の前で作物を作ることはたいへん難しいです。

こうして三重に来て3か月になりますが、いつも福島のこと、飯舘村のことを考えています。
私自身に時々おそってくる不安、悲しみ、精神的ショックはいえることなく、時々涙があふれます。
でも子供たちの笑顔に支えられて1日1日をなんとか生きています。
人のぬくもり、つながりをとてもありがたく思っています。

私は福島が飯舘村が大好きです。
みんなのぬくもり、あたたかさ、大地といつもともにある生き方、すてきな笑顔、みんなみんな大好きです。


もっと 飯舘村でくらしていたかった

もっと 飯舘村のたくさんの方々と出会いたかった

もっと なな色の空のレストランをしていたかった

もっと お客様の喜ぶ顔をみていたかった

もっと 田畑をたのしみたかった

もっと 子供たちと遊びたかった


また  来年も子供たちと一緒にあけびとりに行きたかった

また  来年も子供たちと栗拾いがしたかった

まだ  行ったことのない山の中を歩いて自然を感じていたかった


もっと たくさんの空をながめていたかった

もっと たくさんの移りゆく季節を感じていたかった

もっと もっと たくさんの思い出をつくりたかった


うまれたばかりの3人目の子とはじめてのおさんぽがしたかった

もっと たくさんの笑顔と幸せを分かち合いたかった

ずっとそこに住めると思ってた。

おじいちゃん おばあちゃんに なるまで

私はずっと飯舘村で暮らすんだって思ってた。

ずっと変わらないと思ってた。
これからもこの幸せは続いてゆくのだと信じてた。

でもあの日からすべてが突然なくなってしまった。

心を込めて育てた野菜は、放射能に汚染されてしまった。

子供たちと植えたたくさんの果樹とブルーベリーも。

自宅出産した子供のお祝いに植えた桜の木も。

毎年子供たちとたのしみにしていた原木しいたけも。

開墾した田んぼや畑も。

子供たちが大好きだった森のブランコも。

私の大切な大切な夫の真平さんに手作りしてもらった なな色の空のレストランも。

みんなで楽しんだ石釜も。

今年の冬に村のちえこさんに手とり足とり教えてもらって作って外に干しておいた凍みもちも。

研修生の子たちと一生懸命作った凍み大根も。

雨の日も風の日も夏の暑い日も 外へ出て一生懸命研修生とみんなで育てた 今年の春までに大切に食べようと思って土にいけておいた大切な野菜たちも。

そしてわたしたちをはぐくんでくれた 山々、木々、小川、水、空気、大地、虫たち、草花たち、小鳥たち、動物たち、

すべて目に見えない放射能に汚染されてしまいました。

人が大切にしていたものを そして宝物のような 村人たちの笑顔を きずなを すべてひきさいて こわれてしまいました。

きのうまで幸せな暮らしがあったのに ある日突然一瞬にして その幸せが奪われました。

こんなに こんなに 悲しすぎることはありません。

悲しくて 悲しくて 悔しくて 悔しくてたまりません。

この現実は 決してあってはならないことです。

こんなにもすべてを奪ってまで 一瞬でひとの幸せを不幸にしてまで 原発は必要でしょうか?

電気を使うのに こんなにたくさんの悲しみが必要でしょうか?

人の命と引き換えに原発が必要でしょうか?


私たちは これから 今日を 今をどう生きてゆくのか 選択しなければなりません。

私たちは 今まで 原発は こんなに 恐ろしいものだと知りませんでした。

でも 私たちは 本当の 恐ろしさを 知りました。

だからこそ伝えていかなければ 変えていかなければ 


原発のない福島へ 原発のない国へ そして世界へ。

今、夫の真平さんは、フランスをはじめ多くの日本各地で呼ばれて講演をしています。

本当のことを伝え まず 1人1人の意識を変えることが大切だと思ったからです。

この1年のうちに伝えることがとても大切だと感じています。


今 私にできることからはじめることが大切だと思います。

1人1人が 今できることは何かを求めたら 小さな答えがきっと見つかります。

その1つ1つの小さな答えを行動に移していったら きっと世の中が変わります。

原発のない福島へ 自然エネルギーの転換へ なれると思います。

みんなでつながって かえてゆきましょう。

明るい未来のために。


どうぞ 皆様のもとに 1つでも多くの星の輝きが ふりそそがれますように・・・・


なな色の空
村上 日苗 

2011.6.11
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by nanaironosora-k | 2012-05-25 11:40 | 日苗のおもい

こどもたちの未来ために

去年の夏、福島の子供たちのための伊勢サマーキャンプに参加しました。
たくさんのかたが、バンド演奏のライブをしてくれました。そのときに、ネギロックというバンドが参加されていました。こどもたちの未来のためにという曲を歌ってくれました。とても、感動し、涙があふれました。CDをみんなにプレゼントしてくれました。その後も、いろいろ支援をしてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
 ネギロックのピュアレさんともっくんの2人がPMとして音楽活動しています。今回こどもたちの未来のためにという歌を画像といっしょにユーチュウブで聞けるようにしたいといわれ、その写真を提供させていただきました。
私たちのこどもが、飯舘村で暮らしていた笑顔いっぱいの様子がすてきな歌とともに、みることができます。
ユーチュウブで こどもたちの未来のために PM 検索してぜひ見てきいてください。

日苗                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
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by nanaironosora-k | 2012-03-13 15:58 | 日苗のおもい

3.11のおもい

 さようなら原発 名張 2012でスピーチをさせていただきました。たくさんの方が、聞いてくださり、ありがとうございました。今の私のおもいをお話させていただきました。
 三重の伊賀市に避難してから、1年。伊賀市、名張市のみなさんをはじめ、県外の方々からも、ご支援をいただきました。愛農学園のみなさん、避難のはじめほんとうにおせわになりました。みなさんの心温まるお言葉、お手紙、支援物資、義援金ありがとうございました。みなさんのよりそってくださるおもいにどれだけ、勇気ずけられ、はげまされたことでしょう。着のみ着のまま我が家を後にし、それでもこうして、今日という日をむかえられたことは、みなさんのおかげです。本当にありがとうございました。まだ、先の見えぬ日々は続きます。悲しみは、時間がたってもいえることはありません。でも、なにが大切なことなのか。私たちはどう生きるのか、はっきりとみえてきました。
 人のいのちとひきかえに、原発が必要でしょうか。多くの人の悲しみとひきかえに、原発が必要でしょうか。
愛するふるさとを、放射能で汚染し、人が住めなくなる原発は必要でしょうか。私は、原発はもう要りません。
今こそ、日本は原発をすべてなくし、自然エネルギーの転換へしていきましょう。未来のこどもたちのために
1人1人が考え、行動しましょう。
 私は、自分たちの食べるものは、自分たちで育て、家も自分たちでつくり、エネルギーの自給をしていこうときめました。これからは、エネルギーの自給をすこしでもしていくことが必要です。そして、原発に依存しない、1歩に、つなげていきましょう。

なな色の空 村上 日苗                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
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by nanaironosora-k | 2012-03-13 14:19 | 日苗のおもい