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までいな力の本をよんでください

飯舘村でのなな色の空が掲載されています。ぜひ、読んでみてください。売上金の一部は、飯舘村の義援金にあてられます。飯舘村のスローライフの取り組みは、きっと、未来のこどもたちのためのこれからの生き方のヒントをあたえてくれることでしょう。

なな色の空 村上日苗



書誌詳細情報


までいの力 
福島県飯舘村にみる一人一人が幸せになる力
著者
「までい」特別編成チーム 企画編集

定価
2,500円 (税込)

ISBNコード
9784904418093

発行日
2011/04

出版
SEEDS出版(シーズ出版)

判型/頁数
A4変 120ページ

在庫
あり


この本のジャンル:
農業書センターおすすめ >> よみもの・コミック
解説
飯舘村を襲った悪夢のような地震と原発事故。
突然襲ってきた眼には見えない災害が村を恐怖のどん底に突き落とした。それまでいっしょうけんめい築いてきた暮らしがガラガラと音をたてて崩れ落ちた。牛の面倒は、農作業の準備は、そしてふるさとは・・・。

村民も役場職員も極限状態にありながら乗り越えられた力。それは村が地域を見つめ先人たちが築いた「までい」の力があったから。飯館村の復旧と復興に向けて!
★この本の販売収益は飯館村復興のために役立てられます。★

目次
●プロローグ
●ようこそ飯舘村へ
●までいと出会うまで
●までいの実践
 いいたて流最新子育て制度
 村営の本屋さん「ほんの森いいたて」
 全国から心が寄せられた絵本リレー
 小さい村だからできる教育
 ラオスに学校を作ろう
 村全体で見守る子どもの食育
 心を添えた直売所
 全国から愛が集まった愛の句碑の道
 ぐるりと一周 あいの沢散策
 自然の中の村の宿泊体験館「きこり」
 飯舘人がもてなす、ど田舎体験
 思いやりのまでいなピンポンラリー
 飯舘村立飯樋小学校舎の試み
 中学生自ら企画、自らデザイン
 未来を担うジュニアリーダーとともに
 までいな家をのぞいてごらん
 間伐材のチップボイラー導入
 村の公募債で新しいバス
 公用車の電気自動車貸し出します
 まるで家のような「いいたてホーム」
 検診もあんしん!村でもMRl
 光インターネット回線敷設
 新旧創作レシピ
●いいたての女性たち
 若妻の翼
 飯舘の女性起業家
●飯舘の先駆者たち
 若者の力で村を動かす!夢想塾
 そばを愛する熱き同士たち『愚真会』
 「日本でもっとも美しい村」連合加盟
●「までいユニット応援団」
●あとがき
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by nanaironosora-k | 2012-12-29 19:02 |

本がでました

パートナーの真平さんの文章が下記の本に掲載されています。福島のかたの思いをぜひ、読んでください。

なな色の空 村上日苗より


3・11原発震災福島住民の証言 
定価 1260円
ロシナンテ社編  解放出版社発行

●本書は2011年3月11日。この日から私たちは放射能汚染と向き合う生活を強いられることになりました。もちろん責任は原発を推進してきた電力業界と政府にあります。福島の住民は原発事故とどう向き合っているのか。住民運動の交流誌「月刊むすぶ」に寄せられた声をまとめたその記録です。棄民とされた住民。その中でも子どもを守ろうとする大人たち、何とか農業を続けようとする有機農業者など。そんな普通の人々の日々の声を集めています。

●「月刊むすぶ」では、昨年3月末号以来、原発問題を取り上げてきました。そのうちの福島住民のみなさんの声を集めて120頁の本にしました。この本を広めるのに力を貸してください。この本が世間に広まることが、原発に頼らない社会を作る一助になるのではないかと思っています。よろしくお願いします。


 少しでも多くのみなさんにロシナンテ社的発信を届けたい。その思いでこの本を作りました。
 ご注文は…
〒605-0974
京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28
電話・FAX 075(533)7062
携帯 090(5642)2308
E-mail musub@big.or.jp
 ロシナンテ社・しかたさとし

※5冊以上のご注文は送料をロシナンテ社で負担します。1~4冊のご注文は100円頂戴します。
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by nanaironosora-k | 2012-12-29 18:51 |

NHKこころの時代

パートナーの真平さんが「こころの時代」のテレビ番組に出演予定。よかったら、見てくださいね。

なな色の空の日苗より



「こころの時代」NHK・Eテレ

放送   2013年1月27日(日)午前5時~6時
再放送 2013年2月 3日(日)午後1時~2時

ききて 山田誠浩氏

「今に生きる―飯舘村を経ての旅路」村上真平氏(愛農学園農業高校講師)
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by nanaironosora-k | 2012-12-29 17:50 | お知らせ

以前お世話になったマリーゴールドからのお便り

新潟にあるホメオパシーのマリーゴールドから、予防接種についてのお便りをいただきました。
よかったらよんでください。


さて、昨日はマリーゴールドでベーシックセミナーを開催させていただきました。今日はこれから、新潟市で予防接種のセミナーでお話しさせていただきます。

予防接種。。。
この秋から始まった4種混合ワクチン、あちらこちらで不足しているとの事。言い換えれば、4種混合ワクチンを選択する親御さんが多いという事です。4種混合ワクチンは百日咳、ジフテリア、破傷風の従来の3種混合ワクチンに、不活化ポリオワクチンを追加して合計4種にしたもの。
これまでのポリオ生ワクチンは経口投与でしたが、不活化だと皮下注射できるので、3種と混ぜちゃえば子ども達や親御さんの負担を軽減できるとの事で始まったものです。。。なんとも、切ない話です。

そもそも、日本中のどこを探しても、ポリオに自然感染する可能性はありません。野生株のポリオはもう、インドやアフリカなどの奥地にでも行かないと遭遇する事はありません。そんな環境で、ポリオの生ワクチンを続ける事自体が必要ない事だと思っていましたが、それを不活化に変えて、さらに4種にするということが、いったいどういうことか。

ポリオの不活化ワクチンは日本国内で臨床データを持っています。たった74人の症例のうち、けいれんが1.4%(70人に1人)起こっています。さらに精神神経系の副反応として、易刺激性、傾眠が20%以上、異常号泣が10~20%もおこっているのです。これらは異常に多い数字と捉えて良いと思うのです。さらに、このワクチンを加えて4種混合にするにあたり、大変な添加物や信じられない種類のタンパク質が使われています。ホルマリン、アルミニウム、アフリカミドリ猿の腎臓、牛の乳由来成分、牛の肝臓、牛の血液、牛の肉、豚の胃、豚の膵臓、馬の血液、クジラの心臓、羊の毛、人の血液。こんなに添加物や培養素材が必要なのは、4つを一緒にしちゃおうとする不自然を犯してしまうから。
このワクチンによる海外の臨床データでは、接種を受けてた90.7%の子ども達に副反応が確認されています。このようなものを4回も注射させる。どうか、たちどまって、考えてほしいと思います。

アメリカには shaking baby syndrome という言葉があります。子どもを抱き上げて揺さぶると脳出血をおこすという事で、幼児虐待として疑われ続けてきました。しかし今では、ワクチンの主要な副反応のひとつである、血小板減少症によって脳出血が起こる場合があると認識が変わってきているのだそうです。そういえば、SIDS(乳幼児突然死症候群)もうつぶせ寝やお母さんのタバコなどが原因とされてきましたね。。。事実をしっかりと見つめてゆきましょう。
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by nanaironosora-k | 2012-12-16 18:06 | お知らせ

飯舘村の方の思い

あるブログで紹介されていました、飯舘村の方の文章です
ぜひ読んでください




全てを3月11日以前に戻してほしい

~ふるさと飯舘村への思い~


私の生まれ育った場所は,現在福島第一原発の事故により計画的避難区域に指定されている福島県の飯舘村。

福島第一原発からは同心円状では,村の南東部分が少し30Km圏内に入り,村のほとんどはその外側に位置している。

30Km圏内の屋内待避地域には指定されていなかったため,村の多くの住人が震災以降,高い放射線量について国からも東電からも何も知らされず,普段通りの生活を送っていた。

震災後,両親とやっと連絡が取れるようになった3月16日の朝,母は原発の事故で避難してきている大熊町の人たちのために炊き出しに出かけるところだと言っていた。

飯舘村で15日の夕方に毎時44.7マイクロシーベルトというとんでもない放射線量が測定された翌日である。

あの,放射線量がとても高かった時期,村の人たちは何も知らされることなく,避難してきた人のために働いていた人もいたのだ。

もちろん,村の中には放射能に対する危機感を持って自主避難した人たちもたくさんいた。

でも,行く当てもなく,国からの指示も出ていないため村に残っていた人も多かったのだ。

震災以来,何人かの放射能に関する専門家が村に来て講演していたという。

ある専門家は「このくらいの放射線量ならば住んでいても大丈夫。問題ない」と言い,またある専門家は,放射線量を測定する器械を片手に飯舘村の放射線量の高さを関西方面と比較したという。

村に住む人たちは,「住んでいても大丈夫」と言う言葉を信じたい。

でも,そこにいてどんどん被曝(ひばく)していく現実は恐ろしい。

自分自身の未来のためには村から離れなくてはならない。

でも,牛を飼っている,仕事もある,何がどう補償されるかもわからない不安の中どこへ行ってどうやって生活していけというのか。

この2ヶ月そんなことを延々と考え続けていた。

そして,今も先の見えない不安の中で暮らしている。









私の実家は飯舘村の中でも田舎。

山々が連なり,美しい田畑が広がる豊かな大自然に囲まれて育った。

実家には,現在,両親,弟夫婦とその娘が住んでいる。

弟家族は,飯舘村の自然の中でのびのびと子育てし,生計を立てていきたいと数年前に転職し両親と同居をはじめ,それを期に家も新築した。
原発の事故が起きてからずっと,その家族はバラバラの生活を強いられている。

弟の妻と子供は原発の爆発直後は親戚を頼り,宇都宮,東京へと福島から遠ざかり,現在は福島市へ。

弟は村に残って仕事に通い,休みには妻と娘の元へ。

両親は村に残り,家を守り牛の世話を。過疎化が続く村のこれからを担う若い人たちは特に,先の見えない未来に大きな不安を抱え,村を離れたくない思いと放射能による体への影響を心配する葛藤に苛まれ,その結果家族が離ればなれに暮らす決断をしている。

私の友人・知人にもそうして生活するしかない人がたくさんいる。

子どもを守りたい若夫婦は村を離れたい。

村に長年住み続けている年配者は村を離れたくはない。

家族の思いが年代によってバラバラでケンカが絶えなかった話も聞いた。

将来を案じ自殺した方もいる。

穏やかに,のどかに生活してきた村の人たちがニュースの中で,村に謝罪にきた東電の関係者に声を荒げ訴えていた。

何も悪いことをしていないのに,どうしてこんなめに合わなければならないのだろうか?



5月の連休に1日だけ,私は飯舘村の実家に行くことができた。

避難になったら,あとはいつ行くことができるかわからず,どうしてもこの目でもう一度飯舘村を見ておきたかったからだ。

飯舘村の景色は,毎年見る連休の景色と何も変わっていなかった。

散りかけの桜が、芽吹き始めた山々の緑を装い,美しい景色が広がっていた。

蛙の鳴き声がする。

青葉の匂いもする。

しかし,天気が良ければ田んぼや畑でたくさん見かける働き者の人々の姿が全くない。

目に見えない放射線に汚されてしまった村。

一躍世界的に有名になってしまった飯舘村。

放射能ではなく,本当はこんなにきれいな景色を世界中の人たちに知ってほしい・・・。

そんな思いで,カメラをかまえていた。

タラの芽も大きく成長しているが,だれも採らない。

毎年味わうニンニクの芽も青々としているが,食べることはできない。

原木栽培の椎茸も肉厚で大きく成長しているが収穫できない。



毎年連休には楽しみにしていた山菜採りはできず,外に出て深呼吸することもできず,どんなに気候が良くても窓を閉め切って家に閉じこもる現在の村での生活。

家族は,少しでも外にでるときには,長袖を着て,帽子をかぶり,マスクをしている。

普段と何も変わらない景色。目に見えない放射線・・・。

自宅の茶の間で外を眺めていると、「どうしてここにいてはいけないんだろうね・・・。何もできなくてもいいから,家を離れたくない。」と電話で何度も言っていた両親の気持ちがよくわかる。

朝は5時には起きて,牛の世話,農家の仕事をし,勤めに出て,帰ってきたらまた牛の世話,農家の仕事と休む暇もなく,土日もなく朝から晩まで40年以上働き続けてきた両親は,今,家に閉じこもって田畑が荒れていくのをただ眺めていることしかできない。

二人とも生まれ育った村をこんな形で出て行かなくてはならなくなってしまった。

一緒に暮らし始めた弟たちは家を新築しても,昔ながらの自然の恩恵を受けてきた生活を好み,相変わらず,薪を使ったお風呂に入り,冬場は薪ストーブと炭ごたつで暖をとっている。

実家では,手間暇かけた,昔ながらの暮らしを家族で貫いていた。

もちろん電気がなくては生活できないが,極力電気を使用しない生活を心がけている我が家が原発の放射能に汚染され,今までの生活を奪われることにたまらない憤りを感じる。



うちでは肉用牛も家畜としてずっと育てていた。小さい頃から牛の世話を手伝うのは当たり前のことで,水やり,えさやり,放牧の手伝いなどしながら育った。

牛を飼っているため家族旅行をしたことなどなかった。

両親は,高校から家を離れて生活する私のところに来ても一度も泊まっていったことがない。

それも,牛を飼っているから。

飯舘村が高い放射線量が出ても村民がなかなか避難しないことにあれこれ言う人もいたが,生き物を飼っているということは,容易に家を空けられないということなのだ。

原発で避難している双葉町で牛が町の中をうろうろし,牛舎でやせ細るニュースが何度も流れていた。

家畜のあんなかわいそうな姿を目にした畜産農家が簡単に避難などできるわけがない。

私は小さい頃から牛のお産も何度も目にした。

母牛は涙を流しながらお産した。

そして子牛と小屋を離され,お互いに呼び合って幾晩も泣く夜があった。

たくさんかわいがって育てた牛が学校から帰ってくると競りに出されいなくなり,悲しくて泣いたこともあった。

私の結婚式の朝,美容室で着付けをしてもらいながら母は「今朝子牛が産まれた!とてもいい日だ!」と言って喜んでいたのが忘れられない。

大人になって,実家に帰省しても牛がいるのは当たり前だった。

娘が姪達と喜んで牛に餌をやっていた。

牛を全く怖がることなく「もーもーさん。もーもーさん。」と近づいていき,牛の角にぶつかって泣いたこともあった。

家畜農家にとって牛は毎日毎日世話をして大事に育てる家族のようなものなのだ。

その牛たちも村の計画避難のために今月中には一頭残らず家からいなくなる。



家族七人で田植えをし,稲刈りをした家の前に広がる田んぼ。

今は亡きじいちゃんが山から切り出した木で炭焼きしてた炭焼き小屋。

竹の竿で鯉を釣った裏の池。

今は亡きばあちゃんがくの字に曲がった腰でどんなに暑い日にも草むしりして手入れしてた畑。

秘密基地を作って弟妹で遊んだキノコがたくさん採れる氏神様がいる裏山。

遠くに太平洋が見え,春には満開の桜で彩られる峠。

月明かりしかない降ってきそうな満点の星空。

父の弟妹,私の弟妹親戚達が一同に集まって賑やかに楽しく過ごしたお盆やお正月。


全てを,今まで当たり前に帰省すれば味わうことのできた全てを,思い出の地を元に戻して返してほしい。

どうか,全てを3月11日以前に戻してほしい。

誰に訴えればいいのだろうか。

この悔しさを。

この悲しみを。

実家という思い出の地である私の思いに比べたら,現在生活している家族の,村人の苦しみや怒りはいかばかりか。

村に住む人が「出口の見えない真っ暗なトンネルの中を無理矢理先に進まされている」と表現していた。

まさに,村の人たちはそうした状況におかれ,今まで築きあげてきたものを全て奪われた。

過去も未来も現在の生活も。

そして,高い放射能の中に過ごしていたことにより,いつ自分自身に,子孫に出るかわからない健康被害におびえている。

『放射能』という目に見えぬ悪魔のせいで。

今は一日も早く原発が収束することを祈っている。

飯舘村や福島原発周辺に住んでいる人たちのような苦しみはもうたくさんだ。

(宮城県、H)
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by nanaironosora-k | 2012-12-07 21:02 | 飯舘村のなな色の空

石窯作りワークショップ

高効率・高性能石窯づくりワークショップ
第3回 千年持続する村づくり塾・石窯づくりワークショップ
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燃焼効率の高い石窯づくりの
ノウハウをつかむ
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日時:12月1日(土)15:00~6日(木)15:00

会場:愛農が丘(三重県伊賀市別府 設置場所:愛農ログハウス南東側)
講師:村上真平氏ほか

■受講料:35,000円

■宿泊・食費:17,325円(1泊・1,575円/1食・630円・食事は玄米菜食中心)

■定員:15名程度  
  
■締め切り:定員に達し次第

詳細なプログラムはコチラ

■主催・申込み・問い合わせ先:(社)全国愛農会
  Tel:0595-52-0108/Fax:0595-52-0109/mail:honbu@ainou.or.jp

●●今回作成するケベック式石窯について ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●



石窯の型はケベック式というものでパンの焼床と薪の燃焼室が同じ所というオーソドックスなものです。石窯の大きさは外側の大きさが2m×2m×2m、庫内の広さは、横幅110cm、奥行120cm、高さ40cmで、500gのカンパーニュが1回に20個ほど焼ける広さです。

この石窯は、オーストラリアに生まれ、アメリカのカリフォルニアに居を構え25年にわたって石窯を作り続けたアランスコット氏が考案したものを元に、講師の村上真平さんが日本で手に入る材料のサイズや質に合わせて設計し直したものです。

アラン氏は18世紀中頃にデザインのピークを迎えたという石窯を現代によみがえらせ、2009年に亡くなるまで燃焼効率を上げるなど改良を加え続けました。

福島県飯舘村で農家レストラン「なな色の空」を主宰されていた村上さんが同地に石窯を据え付けるとなったとき、行き着いたのがアラン氏の石窯でした。その熱効率、耐久性の高さもさることながら、村上さんを魅了したのはアラン氏の哲学でした。

ガンディーの生き方に共感していたアラン氏が主宰するオーブンクラフターズという会社の目的には「ガンディー主義に従って、スタッフの生きる糧を得ること」とあり、その指針としてガンディーが考える理想社会になぞらえて、次の4つを上げています。
「理念のある政治」
「道徳のある経済活動」
「労働を通して得られる富」
「人間性のある科学」。

こうした考えに基づいて彼は「農村に1~2軒の石窯パン屋さんがあり、人々に日々のパンを供給するとともに、パンを作る人々も適度な収入と生活ができる」そんなコミュニティー作りの手助けをすることをライフワークとしていました。アメリカ各地を巡りワークショップを行っていた他、著書でもノウハウを公開し、その技術を広く公開することを惜しみませんでした。

村上さんは2007年にアラン氏に手紙を書き彼のデザインした石窯の設計図を購入。電話やメールで彼の指導を受けながら、2008年、なな色の空に石窯を据え付けました。
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by nanaironosora-k | 2012-12-01 14:07 | お知らせ