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3.11福島を忘れない、イベントのお知らせ

3.11福島を忘れない、イベントのお知らせ

3 月11 日(火) 10:30 ~ 15:00
武道交流館いきいき 多目的ホール(大)

菜食韓国家庭料理ネチャメのオーガニックランチ
カフェねっこのコーヒーとワッフル
西岡商店のオーガニックフード&ドリンク
PIKINIKI のベーグルと焼き菓子、食パン
伊賀有機農産の野菜
つながろうマーケットのパンとお菓子
なないろの空の冊子「あの日から」、お菓子
にじいろ☆きゃんでぃの
      布ナプ、消しゴムはんこ、布小物
森の防潮堤の展示とアクリルたわし
なばり放射能測定所しるみるの展示と測定ノート
新婦人の布小物、黄色いハンカチ

被災地支援マーケット
●10:30 ~ 12:00
●移住者を囲んで語ろう  
~福島、神奈川などから移住した人が参加します。 
 移住者の体験や思いを聞き、語り合いましょう~

 ●12:50 ~ 13:50
~なばり放射線測定所「 しるみる」講座~
 ●13:50 ~ 14:20
割烹着~ずダンス
  ワークショップ
~核なんかいらない♪UA(ミュージシャン)の歌と 
        踊りです。太鼓のリズムでご一緒に~
 ●14:30 ~ 14:40子育てサークル「 はな♪」のゆうじゅさんによる詩の朗読

 ●14:46 ~一緒に祈りましょう~ 黙とう

どこからでも
参加できるよ♪
何かひとつ 
手に入れることが 
被災地支援に!





〈3・11 をわすれない実行委員会 問い合わせ:柴 090-4256-3916〉

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by nanaironosora-k | 2014-02-26 21:48 | 福島を忘れない

2014佐藤幸子さん講演会

自然農業 佐藤幸子さんの講演会、座談会のお知らせ


~福島県川俣町の佐藤幸子さんの
お話を聞き 座談会を行います~

愛農学園内にあるログハウスを会場に
福島県川俣町の佐藤幸子さんと美菜さん
親子を迎えて3月9日座談会を行うことに
なりました。
放射能汚染地に住むことを強いられてい
る子供たちを守るために、様々な活動をして
こられている佐藤さんに、福島の現状を語っ
ていただきます。皆さんと語り合う機会を持
ちたいと思います。
是非、ご参加ください。

参加費: 無料

日時:3月9日(日)19:00~20:00 (講演会)
          20:00~21:00 (座談会)
会場:愛農ログハウス(伊賀市別府・愛農学園内)
お問合せ:山本(090-4188-1230)

プロフィール 幸子さん
福島県川俣町に生まれ育つ。結婚
後、自然農を営みながら5人の子
育て。お年寄りや障害がある人の
ディサービス事業もはじめる。原
発事故後、避難したくともできな
い人たちの傍らに身を置きつづ
けている。「子どもを放射能から
守ネットワーク」元代表。

プロフィール 美菜さん・
5人兄弟の末っ子として生まれる。
自然農で自給生活を実践する「やま
なみ農場」13歳まで生活。原発事
故によって山形に避難。2011 年9月
母と兄ともに渡米、原発事故の実態
を訴えるスピーチを行う。現在は山
形にあるキリスト教独立学園在学し
寮生活をつづけている。








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by nanaironosora-k | 2014-02-26 17:02 | 福島を忘れない

月刊 MOKU 2014.1

「未来に向けて私たちが目指す本当の“豊かさ”とは」

月刊 MOKU 2014.1 にて掲載されました。

自然農法家 村上真平(むらかみ・しんぺい)
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by nanaironosora-k | 2014-02-13 11:36 |

村上真平講演会 2014年2月15(土)16(日)長野県有機農業研究会第34回大会

「農から始まる低エネルギー生活 見つけよう、3.11後の新しい暮らし方」
2014年2月15(土)16(日)に開催する長野県有機農業研究会第34回大会

■講演 
「自然から収奪せず、人から搾取しない生き方・暮らし方」
村上真平さん



「未来に向けて私たちが目指す本当の“豊かさ”とは」
(月刊 MOKU 2014.1)

自然農法家 村上真平(むらかみ・しんぺい)

二〇一一年三月十一日、東日本大震災によって、私が住んでいた福島県飯舘村は震度六強の揺れに襲われた。飯舘村は内陸部にあり、地盤が強かったこともあり、この地震によって避難者を出すことはなかったが、隣接している南相馬市、相馬市など沿岸部は十メートル以上の大津波に襲われた。ラジオから流れるニュースは、被災地の壊滅的状況と、避難者たちの困窮状態、ライフラインが断ち切られた都市部の混乱を伝えていた。スーパーやコンビニの食料はなくなり、ガソリンスタンドには長蛇の列が出来た。
 そのとき、私たちの農園には二年分以上のお米、十数種類の貯蔵野菜、三十種類以上の農産加工品、石窯で焼いたパン、と有り余る程の食べ物があり、暖と煮炊きに必要な薪は納屋やに十分に積んであった。そして、農園の中には清水が湧いていた。地震の直後、停電になったために、ロウソクの光で研修生とご飯を作りながら、「この地震で、飯舘村が陸の孤島になったとしても、ここで生きていくことができるね」と話していた。この日は研修生と一緒に建てていた小さな家の棟上あげが終わった日であり、私たちにとっては祝いの日でもあった。
 人間が生きてゆくために最低限必要なものは何だろう。まず空気、水、それから食べ物、衣服、住む家。そして、煮炊きと暖を取るために必要な薪(エネルギー)。極論を言えば、これら基本的な六つのものが十分にあれば、お金がなくても、人間は生きてゆくことができる。そして、幸せに生きられるかどうかは、その人の外に「持っている物」にではなく、その人の内に「在るもの」によって決まる、という思いを持ち、飯舘村に移り住んだのが、二〇〇二年三月。それまでの二十年間の海外協力活動に区切りをつけ、「自然を収奪せず、人を搾取しない」生活を日本の山村でしようと決心した「9・11テロ」の六カ月後であった。

 なぜ、飯舘村の山の中の、離農した一軒家だったのか。そこは、私にとって、人間が生きるために必要なすべてのものがある「豊かな大地」だったからである。きれいな空気、豊かな水と森林、豊かな土。そこでは、自然を壊さないで、食べ物、衣服、住む所をつくれる技があれば、生きてゆくことができる所であった。そして、二十年間の海外協力活動の中でみえてきた「貧富の格差の拡大とそれを恒常化させる海外援助の欺瞞性」「先進国によってつくられるグローバル経済ルールの不公平性と搾取性」「自然破壊と貧困の関連性」という課題に対して、加害者にならず、かつ、根源的な解決への答えを生きたいと思ったからであった。
 まず、食の自給のために耕作放棄地を再生し、食べ物を作る農園づくりから始まった。自然の森が持っている豊かさと持続性の要かなめでありながら、農地になることによって失われてしまった「循環性」「多様性」「多層構造」を農地に取り戻すことによって、土の疲弊、病虫害の発生、土壌流出の問題を解決する自然農業で米、野菜、穀物、ハーブなど六十種類程の作物を栽培した。
 次に、妻が調理師でレストランをすることが夢であったということもあり、三十坪ほどの木造建築のレストランを自分たちの手で国産木材だけを使って建てた。人間の体は食べ物によってつくられている。ほとんどの病気は食の乱れから起こるという身土不二の考え方を基本とする、食養(マクロビオティック)を実践していたこともあり、農園で収穫した農作物を料理する穀物菜食レストランを始めた。そして、石窯で焼くパンはガスや電気のオーブンで焼くものとは別物であると信じる妻の強い要請から、石窯を自作することになり、石窯パン工房も始めることになった。レストランのリピーターや野菜を定期購入する人たちのリクエストに答える形で、農家民宿の許可を取り、親子里山体験の合宿などを定期的に行うようになった。自然と農に触れ、その楽しさ、美味しさ、豊かさを体験することによって自然と農の素晴らしさ、大切さを子どもたちに感じてもらいたいと願って始めた。

 原発事故の前の年、二〇一〇年には、「なな色の空」と名付けた私たちの農園に、三月から四人の若者が研修生として住み、共同生活が始まった。農園を始めた当初から、エコロジカルで緩やかな共同体を思い描いていたこともあり、その現実に少しずつ動き始めていた。二〇一一年四月からは、三年間、思いを共有しながら話し合ってきた一組の家族が移り住んでくることになっていた。
 しかし、三月十一日の夕方、福島第一原発が津波によってすべての電源を失い、原子炉が冷やせなくなったというニュースが流れたとき、飯舘村に生き続けられるという安心は吹き飛んでしまった。全電源停止→メルトダウン→水蒸気爆発による原子炉破壊→高濃度放射能汚染という可能性を、反原発活動を通して知っていた私たちは、その日の深夜、飯舘村から避難することを決めた。十二日の早朝、山形県に避難し、十四日研修生を岐阜にいる妻のもとに送り届け、十六日に三重県に避難した。
 原発事故は人々の生活を破壊し、十六万人の「国内難民」を生み出した。 それまで築き上げたもの、繫がり、生活基盤、それらすべてを失ったときに、起こる絶望感、喪失感と不安は多くの人々を苦しめ、いまなお苦しめ続けている。本来であれば、このような基本的人権を奪う原発はすべて廃炉にし、国民の安全を最優先させるべきなのに、政府は「経済のために原発を再稼働する」という。快適で、便利で、多くの物に囲まれた生活、「豊かさ」を支えるためには原発が必要であるという。つまり、命よりお金が大切だという。

 人類はいま、帰路に立たされている。「豊かさ」のために自然を破壊し、弱い人々から奪い、勝ち組だけが生き残れる、いまの社会をこのまま維持しようとするのか。それとも、生命の基である自然を壊さずに、自然の恵みの中で生きる技とマナーを学び、競争から→協力へ、奪い合いから→分かち合いへ、という「共に生きる智慧」を学ぶ生き方、すなわち、「内的な豊かさ」を求める生き方に進むのか。破壊され続ける地球環境、温暖化、オイルピーク、地下資源の枯渇、拡大する貧富の差、爆発的に増加する人口など、限られた地球という空間の現実を冷静に見つめるならば、人類が地球上で生き残れる道は後者にしかないということは、論を待つまでもないであろう。
 しかし、この転換は、「正しさ」の強制によっては生まれない。ただ、一人ひとりが、新しい発見により喜びを持って変わる、という内的転換によってしか成し得ない。
 そして、それは最も遠い道のりであり、最も近い道でもある。
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by nanaironosora-k | 2014-02-13 11:29 | 村上真平 講演会